日本労働社会学会『通信』vol.XIII, no.1(2002年2月) 日本労働社会学会事務局一橋大学社会学研究科 林大樹
(学会ホームページ)http://www.jals.jp |
学会通信第6号をお送りします。本号の目次は下記の通りです。
長文になりましたので、取り急ぎ第6号を発行し、近日中に第7号を発行する予定 です。
郵送希望の会員には、少々遅れますが、第6号と第7号を合併してお送りします。
事務局でメールアドレスを把握した141名の会員についてはメーリングリストを 作成しました。本通信もメーリングリストにて送信いたしますが、何か不都合があり ましたら、事務局までご連絡下さい。
本学会の第13回大会は2001年11月3〜5日の3日間、早稲田大学人間科学 部において開催され、約90名の会員の参加を得て、盛況のうちに終えることができ ました。参加された会員のみなさんのご協力はもとより、自由報告の報告者、司会 者、シンポジウムの報告者、司会者の方々のご努力、さらに大会運営にご尽力いただ いた幹事および開催校の会員諸氏のお陰と、心より感謝を申し上げます。
会場には若い世代の会員諸氏の姿が多く見られ、活発に討議に参加されていたこと を、なによりも嬉しく思いました。
本学会も結成から10年以上を経過し、よりいっそうの発展が期待される時期に 入ってきました。学問の進化につれて魅力的な学会が次々と誕生してきている現在、 本学会が会員諸氏にどのような魅力的なサービスを提供できるか、正念場にさしか かってきたように思います。30代、40代の若い世代を中心とした溌剌とした学会 運営を期待する声の高まりを感じております。会員諸氏のいっそうのご協力を切にお 願いいたします。
第1報告は、村尾祐美子氏(お茶の水女子大学大学院)の「40歳時役職有無規定要 因におけるジェンダー効果とコーホート効果」であった。村尾氏は、労働市場で分配 される重要な社会的資源として特に「役職」に注目し、役職が被雇用者へ配分される 過程での男女間の公平性について検討した。
具体的には、1985年および1995年の「社会階層と社会移動全国調査」(SSM調査)のデータを用いて40歳時役職有無の規定要因についてのロジスティック回帰分析を行っている。分析モデルには、被説明変数として「40歳時の役職有無」を、独立変数として(1)本人属性(学歴、企業移動経験の有無、勤続年数)、(2)職の性質(初職および40歳時職の職業と企業規模)、(3)ジェンダー(1.性別としてのジェンダー=自分の性別が自らの40歳時役職有無を規定してしまうこと、2.関係としてのジェンダー=他者の性別が自分の40歳時役職有無を規定してしまうこと)、更に、分析対象期間が長期に渡るため役職獲得機会の時代的な変化を考慮することの必要性を指摘し、(4)時代効果(モデルには変数として40歳時職到達時期または出生コーホートのどちらかを投入)を用いている。
分析結果としては、(1)「40歳時役職あり」という可能性は、出生コーホートが後になるにつれて増大する傾向があること、(2)企業間移動経験のない常雇被雇用者においては、例えばある男性の初職職業女性比率が高いほどその男性の40歳時の役職獲得見込みは上昇しているなど、男女間に「関係としてのジェンダー」が成立している可能性が高いこと、(3)団塊世代は人数が多く企業内での競争がより激しいと考えられてきたが、(男性の)役職獲得競争という観点からは、団塊世代において競争はむしろゆるやかになったと言えること、などが明らかにされた。
質疑応答として、先ずは、「初期の小池和男氏の研究にも村尾氏と似た議論があり、その他にも八代尚宏氏、中田喜文氏などの研究を挙げることが出来るが、村尾氏は、『新古典派経済学者』として誰を念頭においているのか」という質問があり、これに対し村尾氏からは「八代氏の“差別の経済学”を念頭においている、中田氏はジェンダーに関しては方法論的に十分でない」という回答があった。次に、「団塊世代において競争はむしろゆるやかになった」という村尾氏の知見に対し、「佐藤俊樹氏の『不平等社会・日本』では40歳代の役職獲得競争は激しくなるという結論であり知見が全く異なっているが。」という質問がなされ、それに対しては「佐藤氏が大企業ホワイトカラー管理職を対象にしているのに対し、ここでは対象の設定をヒラ社員以外と広くとっているという違いがある。ただし、下級役職では競争が緩和したという捉え方ならば、両者の知見は両立するのではないか」という説明があった。その他、用語の確認として「関係としてのジェンダー」や「オッズ比」についての質問が挙げられた。
村尾報告は、役職獲得をめぐる議論にジェンダーの視点を取り入れた意義深い報告であった。役職獲得に関するアプローチには、社会的資源の配分過程の注目する新古典派の理論以外にも様々な分析視角が存在すると思われるが、新古典派も含め、今後ますます多くの研究において男女間の公平性という検討課題が取り組まれることを期待したい。もう1点、村尾氏が変数を統制しつつ綿密な分析を行っていただけに、(40歳時に常雇である女性の母数が少ないにしても、)女性サンプル数の少なさ(全体の12.4%)に関しては多少気になるものがあった。女性サンプル数の少なさが分析結果に与える影響についての説明がなされるのか、あるいはサンプル数を多くとるなどの作業を通して分析結果の一般化を図る作業がなされて行くのか、村尾氏の今後の研究展開に期待したい。
第2報告は渡辺めぐみ氏(お茶の水女子大学大学院)による「農業労働におけるジェ ンダー研究の新しい枠組みに向けて」であった。渡辺氏は、日本では「農業労働と家 事労働、農外での雇用労働との関係をジェンダー視点から説く研究は蓄積されつつあ るが、とくに農業労働についてジェンダー視点から詳細な実証研究を行ったものはあ まり見られない」とし、一方、「海外の農業と女性に関する研究では、性別役割分 業、スキル形成、家事労働、アイデンティティ研究など、いくつかのケーススタディ が蓄積されている」と指摘する。
日本における近年の主要な研究として、「生活時間データ」を用いた役割遂行過程 の分析や「時間利用調査」から見る女性の農業労働の実態調査などが紹介され、それ らの議論の持つ限界、すなわち労働の価値を算定するための各農作業領域の評価基準 が「前提」として存在せざるを得ず、当事者における労働の価値基準に踏み込めない ものであることを指摘する。最後に千葉悦子氏の議論を紹介し、性別役割分業の編成 原理が、農民の男性・女性自身によるイデオロギーの受容、選択によって決定されて きたという千葉氏の知見を評価しつつも、それがマクロレベルでは説得力を持つがミ クロレベルでは適用し得る議論なのかという問題提起を行っている。
これらの課題を克服するための示唆を得るものとして、次に海外での研究成果を紹介している。これらのうち渡辺氏の知見へとつながるポイントは次の2点である。まずはWhatmoreによるミクロレベルのイデオロギー(例えば「妻性」「母性」など、個々の家の中での実践を通じて制度化される「ジェンダー」)への着目とその調査・分析が、よりミクロレベルの家族農業経営の分析に寄与しているという点。もう1点はC.Delphyによる、「労働に対するさまざまな評価にまつわる言説そのものがすでにジェンダーバイアスを帯びている可能性がある」という指摘である。
よって、報告の知見としては、(1)日本においても、女性の行っている農業労働が「不熟練、補助的労働」が多いと断定する前に、当事者の仕事評価について明らかにする必要があり、その際には、家族農業労働領域リストについて家族成員それぞれの評価を調査するとともに、その労働を誰が行っているのかを明らかにする必要がある。(2)そのような評価が為される背景的要因には、ジェンダーイデオロギー、農業スキルの獲得過程、ライフステージ、経営移譲時期などが想定できるが、ジェンダーイデオロギーについては、社会規範と個別の家族成員、女性が内面化しているイデオロギーを分析の対象に入れ、それが個別の農業労働領域とどう関わっているのか、つまりミクロな枠組の分析で取り組むことで、ジェンダー編成のメカニズムをより明確にすることが可能である、という指摘が為される。
フロアからの質疑としては、まず、(1)Delphyの議論では、「重労働、軽労働などと意味付けしてしまうことの危険性と、それらが社会的に決定されていること」が論じられている。それでは「社会的に決定されている」というとき、それは「誰・何によって決定されている」のか。また、「当事者の仕事評価」について、当事者自身もある社会的枠組の中で自らの仕事を評価することを考えるならば、渡辺氏は当事者そのものをどのように意味付け、どこに位置付けていくのか、という質問がなされた。次に、(2)男性を対象とした研究の動向、評価はどのようであるのかという主旨の問いに対し、ジェンダー研究どころか、男性の農村研究そのものが十分でなかった、と回答があった。
今回得られた知見は、渡辺氏の今後の研究の方向性とも言えるであろう。「家族成員それぞれの評価を調査」し「その労働を誰が行っているのかを明らかにする」などの作業が具体的にどのような形で実現して行くのか、今後の研究展開が期待される。
第3報告は、笹原恵氏(静岡大学)の「女性非正規職員の『労働』と家族生活〜『フルタイムパート』の性格づけをめぐって〜」であった。笹原氏の問題意識は、「現在進行中の『非正規化』がいかなる労働者を生み出すことになるのか」であり、先行研究の整理から、次の3つの検討課題を設定し、事例調査を基に検討を試みている。(1)「非正規女性労働者自身の『雇用形態』についての選択性⇔企業の選別性、労働市場の問題」について、(2)「『非正規』の意味」について、(3)「労働実態」について。調査は、長野県丸子町にある自動車部品製造メーカーA社の女性非正規従業員や労組執行部などへの聴き取り調査によるものであり、上記(1)〜(3)に対して得られた知見はそれぞれ次の様にまとめられている。(1)選択性が不在しているか、あるいは「雇用形態」へのイノセントな対応が為されている。イノセントになる要素には、労働者自身の臨時であることの無自覚さや形式的であるという認識と会社側の説明責任、地域労働市場の特質(人手不足など)と関連した会社側の意向(説明不足など)、女性自身の家庭持ち労働者(再生産労働者)としての存在などがある。(2)「非正規」とは、企業による雇用形態の利用、コスト削減、結婚による労働の分断、労働者の分断、組合加入、ジェンダー差別、である。今後は、「正規か非正規かを選ばされるのではなく押し付けられる状況への着眼」の必要性がある。また、非正規労働者は、「〔非正規労働者+地域労働市場の規定性〕という2つの意味での権力構造のなかにおかれた女性」である。(3)労働実態は、まさに「熟練」である、とされる。
質疑応答として、先ず、丸子における一事例から「フルタイムパート」一般について語ることはできないはずであるが、この事例はどのように位置付けられるのか、と質問があった。また、丸子での調査結果には地域性が大きく影響しているのではないか、という問いもあり、これに関しては、「地域労働市場を調査したところ、当初上田のベッドタウンであると予想していたが、意外にもかなり独立性を持った地域であった」などの補足説明があった。その他には、調査対象者の属性や統計的な数値の確認に対する質問が挙げられた。
笹原報告への感想としては、今回、「イノセント」という表現が暫定的表現として用いられていたが、この暫定性は今後どのように克服されて行くのであろうか、という点を挙げたいと思う。また、笹原氏の調査対象者1人1人における“イノセントな対応”というものが、実際に彼女等のライフサイクルや家族生活の内実とどのように関わっているのかについての笹原氏の更なる究明を期待したい。
第4報告:榎本環氏(武蔵大学)『団塊ジュニア世代の職業観』の感想
榎本氏の報告は、バブル崩壊後の構造不況が続く中で、自発的理由で早期に会社を退職する「団塊ジュニア世代の若者たち」(以下「若者たち」と表記)に焦点を当てる。若者たちは、不況という客観的な状況を知らずに無謀な決断をしているのだろうか。榎本氏は1999年10月に放送されたNHKの番組(ETV)を質的データとしてもちい、このビデオから読みとられる若者たちの退職理由について言説分析を行っている。
データから読みとられた若者たちの職業観の特質として、「自分らしさ」「私的な快・不快基準」「自己決定」「”いま”の満足」「観念的な”やりがい”」が挙げられる。そうした職業観の社会的背景に、「日本的経営」的な雇用環境の変化、フリーターという職業アイデンティティの社会的認知、パラサイト拠点としての家庭の存在、”世間の目”の拘束の解体、情報化の進展と選択機会の増大(「機会費用」を計算しやすくなる)がある。榎本氏によれば、これらの結果として、従来自明視されてきた雇用(の制度・慣行)についての前提はもはや「従わざるを得ない宿命」ではなくなった。それとともに「”自分主義”と呼ぶにふさわしい価値意識が若者たちのあいだにうまれつつある。そして、そうした変化のうちには「質的な斬新さと潜在的な社会変革力」が存在するかもしれない、と榎本氏は主張するのである。会場からは、こうした若者たちの分析には「階層」という視点が必要、という指摘や、彼らは「社会変革の担い手」というより企業に都合よく利用される存在ではないか、という疑問が示され、応答が交わされた。
ところでこの文章を書いている私(福井)は現在、大学院生である。ふつう大学院生は(専攻分野にもよるが)研究者として将来就職ができるという保障はなく、また研究にのめり込むほど、いわゆるツブシが利かなくなる。研究者を目指す大学院生は、ある種の「無謀な決断」をしているという意味で、榎本氏の分析する「若者たち」にいくつかの点で似ている。現時点での大学院生のかなりの部分はここでいう若者たちの世代の一部であるという意味では、それはけだし当然なのであるが、では両者を同じに見なせるかというと、私の主観からは若干の違和感がある。それは時間の観点に関わる。昔も今も大学院生は研究者を目指すかぎり、自己の職業的な将来像をある程度具体的に思い描きつつ研鑽する(少なくともそうあるべきである)。いっぽう榎本氏の指摘する若者たちの職業観には表出的な傾向があり、総じて将来でなく現在を指向しているようだ。程度の差ではあろうが、具体的な自己の将来イメージを描き、それに準拠して行為しているかどうかが両者の相違点といえよう。不透明な未来にたいしてあえて明確なビジョンを持つことをしない「若者たち」は、短期間ならともかく、長い年月にわたってそういった状態を持続できるのだろうか。日本的雇用慣行が崩れる一方で新しい「働き方」の確たるモデルがない中、彼ら彼女らの振る舞いや意識のもつ社会変革の可能性に期待しつつも、ある種の危惧は否めない。
第5報告:浅川和幸氏(北海道大学)『専門学校と職業教育−北海道情報系専門学校 を事例に』の感想
浅川氏の報告は、1995年前後から教育−労働体制が急ピッチで再編成され始めた、という問題意識に立ち、おもに北海道の専門学校の事例調査にもとづいて考察を行うものであった。近年技術発展やオープン化などが進み、従来企業内部で行われていた職業教育は企業にとって負担感が増している一方、18歳人口が減少するなかで専門学校は職業教育を軸に高等教育分野を志向している。報告において浅川氏は、北海道における情報産業と専門学校のこうした現状に触れた上で、情報系専門学校のなかでも「情報系」学科に専業化した類型を俎上にとりあげ、この類型に属するある小規模校での調査結果を示している。
それをまとめると、1990年代前半までは、個別的な技術・労働市場の存在を前提として、専門学校は資格を指標とした統一的なカリキュラムのもとで標準的な労働力の養成を行っていた。しかし1990年代後半からは、技術のオープン化・横断性の高まりに対応した教育が求められ、標準的な技術養成の目標は取り下げられた。また18歳人口の減少にともなう大学進学率の高まりから、大企業の新採用は大卒中心となり、その分企業内導入教育の比重が増加する可能性も示唆される。専門学校もまた、狭まる教育市場に対応するために差別化・特殊化を迫られている。しかしこれに対応する専門学校生の意識は、その専門学校が(差別化して)提示する専門性に一定程度志向しつつも、職業的というよりは趣味的、自己実現的なものとしてある。
これらをふまえて、浅川氏は1990年代後半以降の職業教育の変貌を考察する。まず専門学校の分析からは、市場的な仕組みで職業教育を行うことの問題性が呈示される。(学校間競争にうながされた)専門学校は特定の専門や個別企業のニーズにこたえるために、教育目標の分解や教育ボリュームの縮小に追い込まれている。教育目標の分解を防ぐ、教育と実践の統一、社会的な標準作りを考える時期に来ている。また学生の分析からは、専門学校の差別化の型が学生の職業志向性をリードしてしまう弊害が挙げられる。
最後に情報系労働と教育の関係を「再帰性」という用語で浅川氏は把握し、(一種の生涯学習的な形での)職業教育と労働人生の関係についての論点呈示がなされている。
さて、大略以上のような浅川氏の報告内容は、先にコメントした榎本氏の報告内容と微妙な符合をみせる。というのも、同時代の状況規定の下における若者の職業意識を取り上げている点で、問題意識に接点があるからである。いうまでもなく両者の研究の意図するところはちがっている。浅川氏の報告は近年の企業−学校関係の変化を動態的にとらえることを通じて望ましい職業教育のあり方を模索することに主眼があり、いっぽう榎本氏の報告は早期退職する若者たちの職業観の特質を把握することを通じてその社会変革へのモメントを探ろうとする。
しかし、浅川氏の指摘するような専門学校生たちの「趣味的・自己実現的」な職業意識は、榎本氏の指摘するような早期退職した若者たちの職業意識(「自分らしさ」「私的な快・不快基準」「自己決定」「”いま”の満足」「観念的な”やりがい”」)に対応する。調査対象者の属性の違い(浅川氏は専門学校生および学校関係者、榎本氏は早期退職した若者)や調査方法の違い(浅川氏はインタビューやアンケートを用い、榎本氏はビデオの言説分析を通じて調査対象者の主観の記述をおこなっている)はあるものの、両者がそれぞれ異なった角度から見いだした現代日本の若者像には共通点があることになる。それは「脱物質主義」(イングルハート)が日本の若い世代に本格的に定着したことを意味するのか、それともそれ以外の解釈の方向があるのか。そのあたりに個人的な関心がひかれた。
第6報告として、大槻奈巳氏(武蔵大学非常勤講師)が、「製造業における労働力の流動化」と題する報告を行った。氏は、総合電機メーカーA社B事業部を対象に、請負従業者の導入のありようを解明し、4つの知見を得る:(1)請負従業者は正社員とほぼ同じ作業を行っている上、その働き方は実質的に派遣労働である。(2)余剰正社員による雇用確保の動きも強く、この点において請負従業者の雇用安定性は低い。(3)請負従業者は、高卒後正社員としての職業に就けなかった若年層と、年齢制限などによって就職が難しい35歳以上の女性である。(4)請負従業者は複数の請負会社から入り、入れ替わりも激しく請負従業者同士が雇用条件を話し合い、待遇改善を要求する状況にない。以上の知見を踏まえて大槻氏は、第1に正社員と同様の仕事をしていながらの待遇上の大きな格差、第2に請負と言いつつ実質派遣労働である状況に対し、実情を踏まえたガイドラインの設定や施策などの法的整備の必要性を結論としている。
フロアからの質問・コメントは多岐にわたった。主だったものを3つ挙げるとするならば、「(1)請負従業者の請負会社における雇用形態はどうなっているのか?」「(2)男性請負従業者の仕事はその後のキャリアにつながるが女性は違う、との判断は妥当か(男性の仕事だって1週間でマスターできる程度内容ではないか)?」「(3)本調査研究と電機連合の報告書との違いをどう考えるか?」となるだろう。
大槻氏のリプライは、(1)については「請負従業者は請負会社でも非正規社員である」、(2)については「その程度ですら、将来のキャリアにつながるか否かに男女差が存在するのが現状である」。なお、(3)については「今後の課題」とされた。コメント(3)は、「個々の事例研究の相対化作業が研究の発展を生む」ことの指摘であるという点で、全員にとって貴重かつ有益であったと言えよう。
最後に、筆者の研究分野から、ある1つの事実を付け加えたい:請負会社が新規高卒者(=正規雇用)を求めて積極的に求人活動を行う傾向が、近年強くなっているのである。各府県の労働局が編集する求人票一覧を見ても、各高校でのインタビューによっても、このことが窺える。「いまの請負従業者はフリーターを束ねたみたいになっていて、定着率がものすごく低い」というフロアからの指摘を踏まえると、できるだけ定着性の高い請負従業者を抱えること、これが請負会社にとって1つの経営課題となっているのではないか、と推測される。
第7報告として、京谷栄二氏(長野大学)が、「小企業の再生を求めて―長野県坂城町の事例―」と題する報告を行った。坂城町は、ポスト・フォーディズムのモデルとして日本企業がもてはやされた1980年代後半から90年代の初めにかけて、「柔軟な専門化」を実践する地域として、海外の研究者から注目された(D.Friedman, 1987,The Misunderstood Miracle)。しかし、これが明らかな誤りであることを京谷氏は力説する。かかる海外からの評価は、企業規模という変数を欠くがゆえの積極的評価あるいは礼賛に過ぎないことが、氏と坂城町が実施した企業調査(2000年10月)から解明される。すなわち、企業規模の投入によって、マイクロ企業の凄まじい窮状が可視化されるのである。さらに、京谷氏の解釈によれば、こうしたマイクロ企業の淘汰は、IT技術革新の奔流の中でいわば「淀み」を形成している一部のマイクロ企業が競争力を失い急速に消滅している―しかも大抵は後継者が不在である―現象である。
フロアからの質問・コメントは、「研究の意義・含意」「調査内在的事項」の2つの観点からなされた、と整理できよう:前者は、「海外の研究者の明白な誤りを指摘したその後には何が言えるのか?」、後者は「“ジグ”という言葉で何を指しているのか?」「坂城町の廃業のうち、後継者不足による廃業の割合はどれくらいか?」等である。
前者に対する京谷氏のリプライは、理論的含意よりはむしろ実践的意義に基づいてなされように、筆者には思われる。京谷氏が調査の知見から引き出したのは、「“地域のネットワークのITへのバージョン・アップ”に対する一抹の期待」であった。
本調査の知見から、理論的含意を引き出すとするならば、一体それは何だろうか?この疑問への解答は、決して容易ではない。その理由は、現場に根づいたgrounded実証研究が、実践を志向した事実の克明な把握のみならず、その現場を乗り越えていく概念の発見(conceptualization=theorization)を要求されていることにある。
最後に、筆者のコメントによって本稿を締め括りたい。京谷氏が、マイクロ企業の淘汰とIT技術革新の関係についての言明を、「思われる」という表現によって行ったのは、調査設計上にその一因がある。すなわち、「IT技術革新→マイクロ企業の淘汰」あるいは「後継者不在→マイクロ企業の淘汰」なる因果関係を検証するのであれば、廃業した企業をも調査対象に含む必要があった、ということである。
第13回大会のシンポジウムは『新しい階級社会と労働者像』というテーマで行われた。各報告の内容とそれについての討論の様子を、一参加者の視点から紹介したい。第一の渡辺報告では、日本における労働に関する議論の多くが、企業社会論というモチーフをそれに対する賛否両論とに関わらず持っており、最近の不平等や階級性を問題にした議論も、その多くが、バブル以前は階級社会ではなかったという前提に立っていることが問題とされた。そこで階級社会論を方法論的にも改めて議論しなければならないこと、それには海外の日本研究者の視点が有効であることなどが報告された。
第二の白井報告では、現代の階級社会の構造をとらえるために、内部(正規雇用)、中間(請負雇用)、外部(失業対策)という三つの労働市場に存在する労働者像が、実態調査の内容をもとに報告がなされた。前二者については、機械産業の生産現場における調査から、主にセル生産方式と労働者の技能養成・モラール・雇用形態などとの関連が主要な論点となった。
第三の林報告では、日本における看護職と介護職について、その就業構造の変化、養成課程と医療・福祉政策の関連が、現場の実態を通じて明らかにされた。「療養上の世話」という看護職の志向性・自己規定のよりどころと、職業としての位置づけをもった介護職のケアが、ともにトータルな生活支援を目指すものとして共通しており、介護労働の概念規定を看護労働のそれと別ものとして理解することは困難であること、したがって、近年の准看護婦の急激な減少と介護・看護補助職者の急増が、医療施設と福祉施設の境界のあいまい化とともに進行している事態は、看護職が確立してきたはずのケア・ワークの専門性を政策的に後退させるものとして理解できること、さらには介護あるいは看護のケアの専門性が養成カリキュラムとの関連において多くの問題を抱えている現実が指摘された。
午後の総括討論で最も多く議論されたのは、階級論と階層論との関係についてであった。階層論がもっていた方向性、つまり経済主義的に意識が規定されるという規範的な階級論に対して、人々にとっての階層というリアリティを手がかりに問題を明らかにするという方法を、もっと積極的に評価するべきだとする立場と、それにもかかわらず、階級というリアリティが存在しているとする立場とに分かれていたように思われた。ただ、階級というリアリティを問題にするのであれば、それが階層というリアリティとどこが同じでどこがどう違うのかということがもう少し論じられるべきではなかったかと思われた。またこの問題を、階層間あるいは階級間がどう「区分化」されているのかという問題としてとらえた場合には、その分断の原理が何なのかということが問題とされていた。林報告の看護職と介護職の関係については、この問題と関連する形で議論がされた。イギリスとスウェーデンでは、両者の関係において、業務区分や資格における職人的な基準のような明確な区分が存在しており、それが関係の規定要因になっているという状況が比較の対象とされた。この点に関して報告者からは、日本における看護職―介護職の関係の可能性について、日本における公的資格制度が医療行為を行う民間の医療経営者の都合にしたがっていること、また望ましい業務区分を行うには労働力の供給量が圧倒的に少ないことが、問題の原因となっていることが指摘された。また白井報告に関しては、セル生産方式という生産システムと雇用形態の関係やそこから浮かび上がる労働者像についての理解をめぐる議論が中心的にされた。一参加者にとっては、21世紀の労働社会にどう向き合っていくかということを考える上での、理論的・実証的な論点と機会をえるシンポジウムとなったが、「階級社会」あるいは「労働者像」というこのシンポジウムのキーワードが、誰の立場から何を明らかにしようとする概念なのかということを改めて考える必要を感じた。
11月5日朝9時、日本労働社会学会会員約50名が西武新宿線「新狭山駅」に集合した。肌寒い空気の中、5分程度歩いたら、本田狭山工場の建物が樹木越しに姿を現した。対応者川村信康総務課庶務係長の開口一番は工場内改組であった。本田技研工業株式会社には5つの製作所があり、狭山工場は和光工場と共に埼玉製作所に属している。エンジン生産拠点の和光工場から、昨年よりエンジン部品の機械加工工程やエンジン組立ラインなどが狭山工場に移管され、600名が転入しつつある。その上、アコードやCR−Vが北米で非常に売れており、現在生産能力いっぱいの稼働率をこなさなくてはならない状態が続いているという。さぞかし工場は忙しいことだろう。
狭山工場は1964年5月より生産を開始した時から、N360、シビック、アコードなど主力車種の生産を担ってきた。そのため、海外生産拠点の技術支援センターならびに研修受け入れセンターとして機能している工場である。現在、従業員数は6,890名(正社員5,670名、期間工1,200名、嘱託20名。製造現場の女性は60名で、そのうち半数が期間工。さらに和光工場より600名が転入)で作業標準票が読めないと仕事にならないので外国人は雇ったことが無い。生産車種はオデッセイ、レジェント、アヴァンシア、ストリーム、インテグラ、アコード(セダン・ワゴン)、CR−V、トルネオの9車種で、アコード、CR−Vを中心に5割程度を米国へ輸出している。北米工場で生産が追いつかないため、本工場で補っている状態なのである。生産台数は130万台(1999年)で、現在は2つのラインで日産2,050台を2直制で維持している。しかし、本田では2直の勤務時間が6:30〜15:15と15:05〜23:30と重なっており残業が出来ない。残業をする場合は2勤の終業後1時間だけで、生産増量には期間工を投入することで対応する。期間工を極力入れず正社員に大量の残業を押しつける他のメーカーにはあり得ない対応である。
概要をお聞きしたところで、いざ工場へ。
組立工場は複数工程をまとめてゾーンとして幾つかに区切られていた。例えば、第2ラインの「複合機能ZONE」は、「Drシート」「Asシート」「RRシートバッグ」「RRシートクッション」「バッテリー」という5つの工程で構成されている。大体4台分、8名前後の作業者が1ZONE内で作業していた。
組み付けを行っている作業者も、これまで見た他の自動車メーカーの組立工場に比べて――言うまでもなく、そこでの作業が非人間的な速度での作業なのだが、それを基準にした時――ゆっくり作業をしているという印象を受けた。数人の作業者と目が合うのである。彼らはこちらを見る余裕を持っているのだ。これは日本の自動車組立工場では初めての体験であった(ちなみにスウェーデン・ボルボの工場では作業者に挨拶されたが)。しかし逆にラインスピードは多少早いように感じられた。これはどういうことか。ラインで作業をしている人間の密度が高いのである。本田はどの工場でも世界標準としてMTMによって標準作業を決めているという。生産量をこなすためにはラインスピードを速めることが必要だが、その分人を多く投入すれば、労働密度自体は変わらない。こうしたことの結果、「ゆっくり」作業をしているという印象を受けたのかも知れない。
もう一つの組立ラインである第1ライン横には、プレスライン、樹脂ライン、溶接ラインが並んでいたがそこは素通りし、溶接ラインの最後、サイドパネルをアンダーパネルに溶接する工程で立ち止まった。ハンガーにかかっているサイドパネルを専用の治具のついた挿入アームが掴み、階下のメインラインで待ち構えるアンダーパネルへと持っていきロボットが溶接する。大きな部品はこうした自動供給だが、小さな部品は作業者がセットしていた。この作業者にある会員が質問したところ、勤続25年の大ベテランであった。しかし彼の作業は小さなプレス部品をセットするだけで難しそうな作業ではなかった。後で尋ねると、「工程を作業負荷の順にA〜Dまでの4ランクに分け、高齢者には最も負荷の軽いDランクの工程を担当させるようにしている。彼はDランクの工程を担当していたのではないか。」との返答だった。
工場見学はあっという間に終わり、質疑応答の時間となった。多岐にわたる質問が次々と出されたが、紙面の都合上、組織変更に関する論点を紹介して結びとしたい。1997年より本田グループ全体で改組があり、それに伴って99年4月より工場内改組が始まった。機能毎に工程を再編し、各工程内で機能品質保証までを完結することを目的に、1,000名を限度にモジュール(14)、100名を限度にユニット(76)を編成した。班長を廃止し、係長をユニットリーダーとし、ラインの管理を一手に担わせた。それまでスタッフとして別組織にいた技術員を各ユニットに工程・管理・品質スタッフ、工程トレーナーなどとして少数配置(例えば品質スタッフは1ユニット2〜4名)し、スタッフ同士互いの仕事を出来るように仕事区分を曖昧にした。管理部門が減った分、スタッフをラインに張り付かせる(広い範囲を巡回させる)ことで色々な仕事をこなさせ、他方、現場には管理部門の不足分をフォローできるように勉強させるようにした。ユニット毎に人事も予算も管理できるようにしたいが、現状はまだモジュール単位で課長が管理している。ユニットリーダー、スタッフ、トレーナーに上下関係はなく、賃金とも無関係である。この改組の結果、ユニットリーダーの負荷が増大した点やコミュニケーションが難しくなった点などが苦情として労組に提出されるようになった。また、この組織変更と同時に、サブラインを利用してメインラインでの作業工数の機種間偏差を平準化し、組立ライン全体を短縮するという工程編成も変更を加えた。その結果、機種ごとの工数差が減り、機種の平準化が可能となった。これは4,5年前からの設計と工場との綿密なやりとりの成果である。
こうした、管理単位を小さくする組織変更ならびに汎用性を高めるライン再編は近年、日本の製造現場で広く見られる傾向である。この傾向が現場の労働者にどのような影響を与えるのかはまだ明らかにはなっていない。今後の研究課題の一つであろう。
(以上)
昨年の労働社会学会第13会大会において、鎌田とし子・鎌田哲宏両会員が広田義治氏『1954年日鋼室蘭闘争の記録 日鋼労働者と主婦の青春』(光陽出版社、2001年)の推薦文を配布しました。そこに記載されていた広田氏の連絡先に間違いがありましたので、以下のように訂正させていただきます。
なお第13回大会を欠席された方で、この広田氏による文献に関心をお持ちの方は 中村広伸までご連絡ください。
2002年11月、宇都宮大学で開催予定の第14回大会のシンポジウムのテーマ を募集しています。
テーマ案をお持ちの会員は、渡辺雅男研究活動委員長までお知らせくださいますよう、お願いします。
以下の要領により、年報第13号の原稿を募集します。
日時:3月16日午後0時30分〜2時
場所:早稲田大学本部キャンパス・14号館510教室
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合計 |
123 |
615,000 |
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1 |
田中直樹 |
12 |
60,000 |
2 |
鎌田哲宏 |
10 |
50,000 |
3 |
鎌田とし子 |
10 |
50,000 |
4 |
河西宏祐 |
10 |
50,000 |
5 |
秋元樹 |
4 |
20,000 |
6 |
京谷栄二 |
4 |
20,000 |
7 |
岩内亮一 |
3 |
15,000 |
8 |
坂岡庸子 |
3 |
15,000 |
9 |
野畑真理子 |
3 |
15,000 |
10 |
藤田栄史 |
3 |
15,000 |
11 |
青木章之介 |
2 |
10,000 |
12 |
野原光 |
2 |
10,000 |
13 |
林大樹 |
2 |
10,000 |
14 |
芳賀寛 |
2 |
10,000 |
15 |
八木正 |
2 |
10,000 |
16 |
笠原清志 |
2 |
10,000 |
17 |
鈴木良治 |
2 |
10,000 |
18 |
藤井史朗 |
2 |
10,000 |
19 |
奥村義雄 |
2 |
10,000 |
20 |
野村正實 |
2 |
10,000 |
21 |
坂幸夫 |
2 |
10,000 |
22 |
鷲谷徹 |
2 |
10,000 |
23 |
北島滋 |
2 |
10,000 |
24 |
鈴木富久 |
2 |
10,000 |
25 |
今城義隆 |
2 |
10,000 |
26 |
辻勝次 |
2 |
10,000 |
27 |
元島邦夫 |
2 |
10,000 |
28 |
神谷拓平 |
2 |
10,000 |
29 |
松田昇 |
1 |
5,000 |
30 |
松永泰輝 |
1 |
5,000 |
31 |
木本喜美子 |
1 |
5,000 |
32 |
中田重厚 |
1 |
5,000 |
33 |
浅生卯一 |
1 |
5,000 |
34 |
藤山嘉夫 |
1 |
5,000 |
35 |
萬成博 |
1 |
5,000 |
36 |
林千冬 |
1 |
5,000 |
37 |
土田俊幸 |
1 |
5,000 |
38 |
大黒聰 |
1 |
5,000 |
39 |
橋本哲史 |
1 |
5,000 |
40 |
山下充 |
1 |
5,000 |
41 |
吉田誠 |
1 |
5,000 |
42 |
山田信行 |
1 |
5,000 |
43 |
長沼信之 |
1 |
5,000 |
44 |
嵯峨一郎 |
1 |
5,000 |
45 |
櫻井純理 |
1 |
5,000 |
46 |
櫻井善行 |
1 |
5,000 |
47 |
熊沢誠 |
1 |
5,000 |
48 |
市原博 |
1 |
5,000 |
49 |
荒岡作之 |
1 |
5,000 |
50 |
湯浅正恵 |
1 |
5,000 |
51 |
小谷幸 |
1 |
5,000 |
52 |
笹原恵 |
1 |
5,000 |
53 |
藤井治枝 |
1 |
5,000 |
54 |
千葉隆之 |
1 |
5,000 |
55 |
駒川智子 |
1 |
5,000 |