日本労働社会学会会報 |
NO.22 (廃刊号) 1997年 12月16日号 |
日本労働社会学会 事務局 〒432 浜松市城北3-5-1 日本労働社会学会会報 静岡大学情報学部 e-mail:fujii@ia.inf.shizuoka.ac.jp |
日本労働社会学会第9回大会特集・・・1997年10月
自由報告1(第1分科会)
岸本 聡(北海道大学大学院)
1.はじめに−“企業社会”と“自立”をめぐって−
現代日本社会の枢要を“企業社会”(「企業中心社会」)とみるとき、「働き過ぎ」や「過労死」という語に表される「生きにくい」この社会にあって、われわれ/労働者が“自立”するみちすじをさぐること、私の問題意識の基点はこのように据えられる。ここから考えはじめ、いま括弧づきで使った“企業社会”と“自立”ということばをそれぞれ捉えなおすことによって、私自身の視座を明らかにし、そこからさらに敷衍される諸問題に関して考えることに、本報告の眼目をおくことにする。
2.「日本型大衆社会」としての“企業社会”
まず、日本の“企業社会”の把握については、家庭や学校、自然環境などへの「企業論理」の影響の大きさを鑑みても、日本社会じたいが「企業中心的」なものとして俯瞰されるというのが、視座の大まかな前提としてある。いわば「市民社会の企業社会化」とも捉えられるが、松下圭一氏の「市民社会」の「大衆社会」化という問題提起をふまえ1 、日本の「大衆社会」化を西欧型のそれとは異なる「日本型大衆社会」として捉える後藤道夫氏の所論に主に依拠しながら2、うえの俯瞰を「大衆社会」概念によって少しばかり虫瞰してみたい。
後藤氏によれば、西欧型の大衆社会が、巨大な産別労組、社民政党、そして福祉国家によって<大衆>を統合するのに対し、日本型のそれは、巨大製造企業を中心として企業主義的に統合するという形態をとる。日本型大衆社会の統合様式は、戦後日本の労働運動が企業対抗力を弱めていった過程を大きな背景に、企業を業績=福祉「共同体」とみなし、労資の対立を副次的な問題とみなすというかたちで、高度成長さなかの1960年代半ばに成立し、低成長以降の1970年代半ばに確立する。しかし、資本のグローバリゼーション=多国籍企業経済の世界展開によって、福祉国家を機軸とした先進資本主義国の大衆社会は大きな打撃を受け、80年代にかけてその再編・再収縮を余儀なくされる。日本の多国籍企業化も、他に遅れて90年代に本格化し、日本型大衆社会も、それにともなって今日再収縮の過程にあるとされる。
日本型大衆社会の再収縮の動向は、日本経営者団体連盟による『新時代の「日本的経営」』(1995年)にその指標が求められよう。この報告書においては、企業社会の「中核」たる大企業「年功型」労働者のこれまで以上のしぼりこみと、パートや派遣労働などいわば「周辺」化された層のいっそうの拡大とが、経営側の企図として示されている3。企業依存的だったゆえに脆弱な福祉国家的供与のもとでは、こうした施策が<大衆>の経済的基盤をゆるがすことが危ぶまれるが、それ以上に、残滓のようにかろうじて存在しているであろう、社会/企業社会の中間的な共同性の破壊に手がつけられようとしていることに対して、少なからず危惧を抱かざるをえない。
3.“自立”の捉えなおし
こうした企業社会の現状において、われわれ/労働者の“自立”を模索するならば、個人を“根こぎ”とする「ラディカルな個人主義」4を前提とした個人主義的“自立”が「選択」されるのでなく、企業社会に根をおろそうとする“自立”のありようがむしろ志向されないだろうか。例えば熊沢誠氏は、職場へ定着し、そこをより住みやすいところへ変える営みを「労働者としての自立」5と捉えている。「関係のユートピア」6ともいうべき平等性の契機が埋め込まれたこの“自立”のありようは、<生きる場>と<生きられる関係>の獲得と措定することができるのではないか。
企業社会の住人たる人々は、悲喜こもごもありながらもそこに自らの<生きる場>を見出し、そこでさまざまに<生きられる関係>を築いてきたはずである。それは例えば「一般職」で働くOLの「被差別者の自由」7のように。企業社会におけるこのような自立の営みは、彼ら・彼女らの生きる「日常」のなかで脈々と行われてきたといってよい。
とはいえ、冒頭でふれたようなこの「日常」の「生きにくさ」に加え、われわれ/労働者の関係性が、例えば「中核」−「周辺」として断裂しているとき、そしてなおかつ今日の企業社会がこの断裂をさらに深く広げようとするとき、断裂した関係性を架橋し、そこから企業社会を批判する可能性をさぐってみたい。
4.<批判的公共性>とその地下水脈−「身体性」への視点−
関係性の架橋による社会/企業社会批判の可能性は、斎藤純一氏のいう「批判的公共性」8という概念と重なる。企業社会の<批判的公共性>、それはさまざまにさぐられようが、相互に自立しうるわれわれのうちに、そのミクロな領域に見出しうるものとして、「身体性」というひとつの系を考えたい。
企業社会のヒエラルヒーの頂点に位置づく多品種大量生産部門の生産点において、そこで「精鋭」=「中核」たらんとする労働者に対しては、能力主義管理下でのフレキシビリティへの絶えざる対応、加えて勤務時間外での「生活態度の能力」9などが要請される。この要請に応じ続けようとすれば、病気やケガをすることは「労働力としての価値を失うこと」10であって禁物とされる。それゆえ、「若さ」や「健康」といった概念が半ばイデオロギー的に強いられることになる。
とはいえ、「若さ」や「健康」の強要に対しては、それぞれの“身体”がその「ままならなさ」を、身体自身の“ひしめき”として訴えるであろう。この「身体のひしめき」は、「自己自身をコントロールするという、自己自身の内部での政治」11のなかにいまだ埋め込まれているのかもしれない。しかし、それぞれが「自己の内部での政治」という肩の荷をおろし、お互いの「ままならなさ」を埋め合いながら他者との関係性を構築することこそ、われわれのもっとも身近に、地下水脈のように潜んでいる<批判的公共性>の可能性なのではないか。
「身体のひしめき」、「身体のままならなさ」を軸とした関係性の構築は、女性をはじめとして、より重い「ままならなさ」を抱える「高齢者」や「障害者」など、いわば「周辺」化された人たちとの関係性を築く糸口ともなろう。また、「身体のひしめき」からの批判が、「ジョブサイクル90秒の仕事に『満足』していた女子労働者が同僚の頸肩腕症候群をみて突然工場の門前に座り込む」12といったかたちで、生産サイクルの緩和へと向かうとき、それはエコロジー運動とつながる可能性をもつものと思われる13。
「大衆社会」状況下では、“身体”もミクロな政治の<場>として捉えられる。その再収縮期にあるとされる今日の企業社会で、<生きる場>と<生きられる関係>の獲得として自立を考えるとき、断裂した関係性を架橋する概念軸として<批判的公共性>を据え、その一例として「身体性」に焦点をあててみた。今後の<対話>−研究者間のみならず、さまざまな「日常」を生きる人々との−の一視角として、この拙い試みの論旨をくみとっていただければ幸いである。
(註)
1
2
3
4
6
7
8
9
10
11
12
13
自由報告2(第1分科会)
池田 綾子(広島大学大学院)
I 問題の所在と構成
日本型生産方式のもとでの労働に対して、如何なる評価を加えるか。労働編成主体と労働力提供主体という、2つの方向から「労働」を分析することで、バランスのとれた評価が可能になるのではないか。こうした関心より、労働力提供主体である英国人労働者に対して、労働編成主体側の意図の表現ともいえる日本型生産方式が、どのように提示され、受容されていくのかを考察したい。
さらに、日本型生産方式での製造現場の労働は、フォード型生産方式と呼ばれるような大量生産方式での製造現場の労働と比較して、いかほどの違いがあるのか。この観点より、フォード型が支配的であったといわれる英国で、日本型生産方式の発祥の産業である日系自動車工場が、どのように運営されているかを分析する。
そこで、日本型生産方式のもとでの自動車工場の製造現場の労働を把握するために、生産方式に3つの段階区分を設定し、それぞれの段階毎に必要な労働を図式的に提示する。この3段階区分で提示された労働を1つの物差しとして、在英日系自動車工場の製造現場の労働を分析する。その分析を通して、在英日系自動車工場の製造現場では、いかなる労働が行われており、その労働にとって、どのような制度が必要であるかを明らかにしたい。
II 製造業現場の労働を把握するための基準設定
第一に、自動車工場の製造現場の労働実態を把握するための基準を設定する。考え方は、こうである。生産方式一般を、「生産のシステム化」の過程として把握する。生産のシステム化の過程とは、初期状況に規定された目的設定が行われ、その目的を達成するまでの過程のことを示す。目的達成のための過程を、3つの段階(要素分解→要素確立→諸要素間の最適配置)で区分し、段階毎に必要な労働を、図式的に提示する。
それでは、トヨタ型生産のシステム化を考えたい。1950年における日本の自家用車市場の未開拓、2万台弱というトヨタの年産規模、高水準の技術者の不足などの初期状況より、トヨタにおいて、小ロット生産のもとでの範囲の経済性追求が目的として設定される。そして、小ロット生産で経済性を追求すれば、平準化生産が必要になる。平準化生産を可能にする手段として、かんばん方式が採用される。この方式は、後工程が引き取られたかんばんの分だけ作るという意味において、後工程引き取り生産と呼ぶことも出来る。この後ろ工程引き取り生産にとって必要な労働とは、「標準作業」の遂行である。
さらに、平準化生産においては、バッファー・ストックの代わりに、前後工程に位置する作業者間の助け合いが奨励される。なぜならば、かんばん方式のもとで、かんばん発行枚数を極小化するということは、バッファー・ストックを極小化することでもあるからである。この作業者間の助け合いを可能にするには、最低でも隣同士の工程という意味での複数職務の遂行という製造現場労働が必要となる。この複数職務の遂行を支援する制度的枠組みとして、チーム作業、職務間の重なる工程設計、職務間異動、能力養成のための制度があげられよう。
このかんばんの発行枚数の極小化とは、言い換えれば、製造工程における問題発生が、即座にして加工に影響を及ぼす状態の創出でもある。この加工の直結を可能にする現場での労働とは、異常時の迅速対応である。この迅速対応にとって必要な制度的枠組みとは、どこで異常が発生したかを確定する仕組み、例えばライン停止コードやあんどんなどと、異常時の迅速対応を可能にする能力養成の仕組みとがある。さらに、加工工程内で品質を管理する「作り込み」のための仕組みも必要である。
この異常時の迅速対応を行うことは、よりよい対応方法や異常の未然防止の方法などの案出の機会を与える。つまり、異常発生によるライン停止回数を少なくすることが目指される。この稼働率の向上にとって必要な労働とは、異常の未然防止といえる。異常の未然防止を可能にする制度的枠組みとは、製造工程を客観視する機会を付与する仕組みである。具体的には、標準作業表の作成や改訂、QC活動、提案制度、IE的手法の養成のための制度などがあげられる。
III 在英日系自動車工場での製造現場の労働:実態把握
第二に、こうして設定された基準でもって、具体的に在英日系自動車工場の製造現場の労働をみていく。該当する工場は、英国日産、いすゞとGMとの合弁企業IBC、英国ホンダ、英国トヨタという四つの工場である。各工場それぞれに対して、第一段階(標準作業・複数職務の遂行)、第二段階(異常時の迅速対応)、第三段階(異常の未然防止)という各々の労働はどうなっており、さらに動機づけの施策は如何なるものかについて、それぞれの実態を分析する。本報告では時間の都合上、英国日産だけを取り上げ、ここで提出した基準でもって、その実態を分析してみる。
第一段階(標準作業・複数作業の遂行)については、英国日産では、生産開始から約1年後の1987年8月に、「多能工化」と称して、スーパバイザーの指導によるOJTによって、1人3工程を目標に、ラインワーカーの職務拡大が促進される。以上より、英国日産では、複数職務の遂行が行われていることが伺われる。この労働を成立させるために、英国日産は、職務間異動を明示した労働協約を、工場操業前に、AEU(合同機械工組合)と締結した。その上で、助け合いの奨励をするために、チーム作業を導入し、職務間異動を容易にするために、直接作業に従事する職務区分を生産スタッフと技能者という2つの区分にし、生産スタッフ内での給与体系も1つにした。遂行能力の養成制度としては、(伝統的な熟練によるコース分けからロボット生産ラインに対応した)地域カレッジでのエンジニア養成コースでの学習への援助などが指摘できる。
さらに、複数職務の遂行へとラインワーカーを動機づけるために、「スキルマトリックス」と呼ばれる複数作業の技能をチームメンバーがどの程度、修得したかを5段階で表示する職務修得表をチーム単位で作成し、チーム休憩室に貼り出す。その他には、英国では珍しいラインワーカーへの査定の導入があげられる。査定項目は、チーム作業への参加、職務知識、労働の質、フレキシビリティなど17あり、5段階評価がスーパバイザーによって行われ、その内容は公開されている。フレキシビリティという項目より、複数職務の遂行への動機づけの施策として査定を位置づけることが出来る。
続く第二段階(異常時の迅速対応)に関して、英国日産のラインワーカーは、「標準作業」が遂行出来なかった時、ラインを停止する権限を持つ。ただし、ラインワーカーは、日常的な簡単な保全以外には、ライン停止の権限を持つだけであり、問題対処の中心的担い手はスーパバイザーである。ただし、ラインワーカーも問題対処に出来る限りは参加するようにしている点については、英国の労働慣行であるジョブ・デマケーションからの大きな違いといえる。
英国日産では個々人の作業結果を自動車評価システムによって明確にしている。この自動車評価システムの結果はQCV(品質・コスト・数量の指標)表にしてチーム休憩室のドアに貼られる。この表の張り出しや救援ランプの点灯などは、標準作業を遂行できないラインワーカーの無能さの証明としての機能を果たし、社会的圧力になっている。この欠陥原因を出した作業者の割り出しが行われる中で、隣同士の助け合いが奨励された時、それは助け合いという局面から、互いのモニタリング・監視という局面へと変質していく。
第三段階での異常の未然防止という労働も、英国日産では、直属の上司である課長の指導を受けながら、スーパバイザーによって、標準作業を定式化するという形で、行われている。さらに、生産チームを母体とする改善チームによる生産管理も、スーパバイザーが中心になって行われている。スーパバイザーは、改善チームのリーダーを、チームメンバーから任命したり自らが担当したりして、QC活動を業務時間内に実施している。
スーパバイザーに対する能力養成には、非常に力を入れており、採用後は、日本で3ヶ月の研修を行い、1987年8月以後は、訓練コースを特別に設けて大々的に実施している。
最後の項目「動機づけの施策」を個別に取り上げるのは、これまで分析的にみてきた3段階の労働への動機づけという観点だけからは説明がつかないような施策があるからである。それは、職務に対する責任感や会社へのコミットメントを高めるための施策である。該当する施策は、シングルステイタスと情報共有、内部昇進の3つに集約できるかと思う。
シングルステイタスとは、英国に根強いセカンドシティズンシップを、労働条件の同一化によって克服しようとした思想・施策で、具体的には、月給の支払方法、タイムカード、制服、食堂、駐車場などを、同一条件にしようとした施策である。情報共有とは、英国のスーパバーザーは通常必要最低限しか、ラインワーカーと繋がりを持とうとしないのに対して、ラインワーカーとスーパパイザー以上の経営側とが、会社に関して、より多くの情報を共有する施策のことを意味する。具体的には、英国日産では、現場のラインワーカーと一緒にチーム休憩室で会議を行うことや、労使の代表が参加する労使協議会の開催などを指している。内部昇進は、ブルーカラーとホワイトカラーとの断絶を縮小する機能をも持っているという側面より、ここに列挙した。
IV 評価
以上が英国日産の実態把握であり、これと同様に、IBC、英国ホンダ、英国トヨタの実態把握をふまえて、一つの像への統合を行いたい。まず、第一段階の労働とは、すなわち、英国で一般的な単能工的ラインワーカーにとったら、加工作業の横並び的増加という意味での職務拡大と言え、これを「水平的職務拡大」とする。第二段階の労働は、加工以外の検査、保全、問題への対処といった加工とは質的な違いを伴っており、それまでの英国の製造現場には付与されていなかったという意味で、「垂直的職務拡大」と呼ぼう。第三段階の労働とは、工程内・工程間改善を含み、「工程管理的職務拡大」と呼ぶ。
それでは、この三つの職務拡大を誰が担っているのか。水平的職務拡大は、当然、ラインワーカーによって担われている。垂直的職務拡大のうち、検査や日常的な保全については、ラインワーカーが担っているが、問題が起こったときの対応を中心的に担っているのは、スーパバイザーである。また、標準作業票の改訂を行っているスーパバイザーが、工程管理的職務拡大の担い手である。以上より、確かに、在英日系自動車工場においては、3つの職務拡大が実施されているが、それは、階層的な制限が存在している。
さらに、これらの職務拡大は、経営側の主導のもとで推進され、労働組合や労使間交渉の一本化(労使協議会)に示されるように、労働者のリーダーシップを発揮する場を極力押さえた中で、進められた事を指摘しておきたい。
動機づけの施策の評価としては、直接的動機づけの施策は、欠陥を出した作業者個人を確定し、チーム内の助け合いを、監視関係へと変質させ、作業者を競争に駆り立てる。間接的動機づけの施策は、ラインワーカーと経営側との断絶を、形式的であれ縮小しているといえよう。
以上の分析より、日本型生産方式の海外への移転を、製造現場レベルで捉えるとき、その必要要件として、(1)存立の制度的条件 (2)阻害制度の改変 (3)能力養成 (4)動機づけの付与 という4つがあげられることが判明した。
それでは最後に、日本型生産方式の下での労働への評価を下す。英国日系自動車工場における製造現場の労働を分析すると、日本型生産方式が原型に近い形で導入されている。これより、労働編成主体の圧倒的優位がみられるといえよう。ただし、日本企業の受け入れ先である英国側の事情を考慮に入れていかないと、この判断は妥当性を欠く。今後の課題としたい。
自由報告3(第2分科会)
小谷 幸(東京女子大学大学院)
1.調査の背景
経済のグローバル化が進行している。グローバル化は単なる生産部門の海外移転にとどまらず、第三世界をも巻き込んだ新国際分業、蓄積構造の再編成をひき起こしている。こうした蓄積・生産体制パラダイムの転換は、生産部門により厳しい競争と、それに対応するためのフレキシブルな生産体制を要請している。もちろん労働市場にも多大なインパクトがあり、具体的には少量の専門的・技術的労働と大量の単純労働が、生産体制シフトに伴うME化・OA化により生み出された。この業務、加えて広くサービス経済化によって増加した業務には、その特性として、労働時間や賃金に顕著にみられるような労働市場のフレキシビリティiが要請されている。
日本もこうした経済構造転換とは無縁ではない。周知のように、日経連は95年の『新時代の「日本的経営」』において、グローバル化する経済への対応として「終身」雇用、「年功」賃金慣行のもとにあった基幹労働者を削減し、その他の労働者を専門的・技術的労働を担う層と単純労働を担う層に分け、景気変動等に合わせてフレキシブルに雇用するという展望を打ち出している。以前から、日本的労使関係のもとで、基幹労働者には機能的(質的)フレキシビリティ(従業員を大括りの職務に雇い、景気に応じて必要な仕事を任せるように養成すること=多能工化)が要請され、補助的な「周辺」労働者には数量的(量的)フレキシビリティ(景気が悪いときは賃金の総額を抑制したり、その企業で働いている人の総数を減らしたりできる可能性のこと)iiが要請されてきたが、今回の動きはそれらに加え、これまでの不況時にも手をつけなかった基幹部門の削減という意味において、安定的な日本的労使関係に動揺をきたすものであろう。
ところで、日本的労使関係を組み込んだ「日本型企業社会」は、男性の包括的無定量的な企業内での労働(支払われる労働)と、それを支える女性の家事労働(支払われない労働)という男女性別役割分業を前提にしており、それがイデオロギーや制度、社会政策等によって強固に再生産されている、ということは多くの研究蓄積により明らかになってきている。その際に分析視角として用いられているのがジェンダーiiiであり、その視角で支払われる労働を分析するならば、基幹部門で働く「会社人間」の男性に比して、家事労働を負う女性は、たとえ労働市場に参入しても「周辺的な」二流の労働力にならざるを得ず、特に既婚女性には身分的に劣る非正規雇用者が多くなる傾向がある。86年に施行された男女雇用機会均等法も、一部の女性を基幹労働者へと組み込んだに過ぎず、多くの女性は「コース別処遇」等より巧妙な間接差別のもとにおかれている。その上、現在は二流の労働力のままでの戦力化、弾力化が進められており、法制的には、規制緩和の流れに乗った労働基準法の改正によって、女子保護の撤廃・裁量労働制の拡大・派遣職種の拡大等が99年より実施される見込みである。実質的には、すでに特に女性に非正規雇用者化が進行しており、平成8年「労働力調査特別調査」によると、女性の非正規率は39.8%(男性は9.4%)で、この数値は10年前と比較すると7.6%(男性は2%)の伸びを示している。
2.従来型労働組合の転換の必要性
企業側が進めるこうしたいわば「なしくずし」的な基幹労働者の削減、非正規化に対し、労働組合はいかなる方策を持って立ち向かおうとしているのか。答えは不透明なままだ。労働組合の組織率は23.2%(平成8年労働組合基本調査)まで低下している。日本の労働組合の多くは企業別組合であり、主に正規雇用者を組合員とし、企業との安定的関係を長く築き上げてきたが、その働きは福利厚生の充実や、春闘方式に見られるような賃上げ交渉要求に終始するきらいがあり、最低賃金引き上げや非正規雇用者への保険導入を行うといった「周辺の」労働者の立場に立った活動には欠けていた。ある意味で、非正規の劣悪な処遇の上に正規雇用者の厚処遇が成り立っていたからである。そのため今やほとんど全ての労働者が巻き込まれつつある「雇用破壊」に際しても運動が停滞し、確たる展望にも、その実行能力にも疑問が呈されている。連合や全労連、全労協といったナショナルセンターは、「未組織労働者の組織化」を大会での重要な討議項目として掲げているが、実状に即した対応ができていない。労働組合においても、蓄積構造転換により生じた企業側の戦略転換と同様に、現状を突破するための運動手法の転換が必要とされ、また模索されているといえよう。
その際に必要なのが「処遇の個別化」の視点とジェンダーの分析視角であろう。まず前者を必要とする理由は、労働市場のフレキシビリティにより労働者一人一人の処遇に相違がみられ、同時にそれぞれが直面する労働問題も個別化しているからである。1993年東京都立労働研究所「転換期における労働組合の役割」調査報告書においても、要望の多様化への対応が指摘されている。こうした個別化の動きに対応するものとして、近年地域を基盤とするコミュニティユニオンや管理職ユニオン、女性ユニオンのような個人加盟の労働組合(ゼネラルユニオン)が勢力を若干ながら伸張させている。実際、最近の労働関連書籍及び雑誌の論調は、労働運動の今後ないし新しい可能性として「処遇の個別化」に対応するゼネラルユニオンについてのものが多い。
後者のジェンダーの分析視角を必要とする理由は、労働組合にも男女性別役割分業が強固に存在しているからである。従来の日本の企業別組合では、企業内の組織に準じた組織形態、つまり男性中心のピラミッド型組織がとられていた。そのため女性の組合活動は「(青年・)女子部」内にとどまり、組合役員に占める女性の割合は非常に少なく、概して女性労働者の意見は大きく採り上げられることがなかった。また、組合自体が重要な戦略として「家族賃金」アプローチをとっていたことからもうかがい知れるように、男女性別役割分業に裏付けられた、ジェンダーの視点を欠いた立場をとり続けていた。このような労働組合が今や全雇用者数のうち38.9%(平成8年「労働力調査特別調査」)に達する女性の要望を的確に捉えることができるとは言い難い。
3.「女性」ユニオンの存在意義―転換へのステップとして―
これまで男性労働者との利害が一致せず、それゆえに黙殺されてきた女性労働者のエンパワーメントをはかり、結果として男性労働者との関係をも考慮に入れつつ、男女労働者によるジェンダーコンシャスな視野を持った労働組合を作り出すことを目指すとすれば、女性労働者がいったん「別の道」をたどり、女性自身の力で活動を進めていくことは不可欠だと考えられる。もちろん、企業内であるいは組合内で「声をあげる」女性たちの数は増加しており、またかなりの成果も上げている。報告者の調べた範囲内では、こうした女性たちは長い道のりを経て力を蓄え、提訴に踏み切っている。しかし彼女たちは大企業で働いているか、第一組合に属しているか、あるいは男性労働者の助力を得ているかしており、また何人かで連帯し運動を起こしていることが多い。中小・零細企業に勤務している、企業内に組合が存在しないとか経営者よりの「ご用組合」しか存在しない、誰かの協力を得ることができないような女性労働者の意見をすくいあげるためには、個人加盟方式の「女性の」ユニオンが必要であろう。たとえ個人加盟方式であっても、従来のように男性労働者と運動を続けている限りは、企業内と同様、ディスエンパワーされ続ける恐れがあるからである。
女性労働者が「女性の」ユニオンを誕生させるまでにエンパワーするにあたっての不可欠の要因として、フェミニズムの興隆が挙げられる。特に95年の北京国際女性会議と「男女雇用機会均等法」見直し論議の中で、労働運動フェミニズム(金井淑子)とも呼べる状況が徐々に広まってきている。現在はILOの条約採択のようなグローバルレベルから、国レベルでの指針、エリート女性層から「普通の」女性層へと、女性労働運動の広がりがローカルにみられる段階だと位置づけることが可能だろう。既に見てきたような経済のグローバル化・サービス化にともない、特に中高年ホワイトカラーの雇用に余剰感が生じた。その結果日本的労使関係、特に終身雇用が揺らいで男性の雇用に危機感が生じ、はじめて世論でも雇用破壊、雇用の危機が大きく取り上げられるようになってきた感がある。しかし男性のほとんどが終身雇用で雇用の安定を確保していた間も女性の雇用は非常に不安定であり、雇用の「調節弁」であった。このことから、日本的労使関係、そしてそれを効率的な日本的雇用システムとして包含する日本型企業社会、この両者に内在する問題にいち早く気づいて、その超克を目指し、徐々にエンパワーしていたのは女性だということを指摘することができるだろう。そしてそのための一つの手段として女性ユニオンが生み出され、その勢力を徐々に伸張させてきたのである。
現在連合が大幅に組織率を落としているが、全労連の組織率低下は微少にとどまり、全労協に至っては逆に組合員数を増やしている(平成8年労働組合基本調査)。そのため報告者は全労協傘下の女性のゼネラルユニオン「女性ユニオン東京」に着目し、今回の調査対象とした。組合員数が222人(97年8月)と少なく、特殊例と思われるかもしれないが、1年半の参与観察を通して得た、“新しさ”の一つの例として女性ユニオンの調査を実施した。今回の日本労働社会学会第二分科会では、調査の背景、調査の概要とその分析手法、分析結果について報告した。
──────────────────────
i
自由報告4(第3分科会)
浅野慎一(神戸大学)
本報告の課題は、日本で学ぶアジア系研修生・留学生・就学生と受入側日本人を事例として、労働観・人間関係観をめぐる異文化接触と文化変容の内実と意義を解明することにある。実態調査は、1989-94年、北海道・首都圏・関西圏、及び、中華人民共和国で実施した。調査対象は、中国人・韓国人・インドネシア人・マレーシア人の研修生・留学生・就学生(102人)、及び、研修先企業・農家、就学生雇用企業の日本人経営者・労働者(23人)である。
(1)中国人研修生を受け入れた中堅企業の日本人労働者は、研修生との接触を通して、a)異文化理解・民族的偏見の払拭、b)他者の人格尊重・指導力・忍耐力等の人格的陶冶、c)研修生の成長・変化を喜びとする共感・連帯等の点で自己変化を感じている。しかし同時に彼等は、中国人研修生に、a)時間的労働評価(労働=必要悪)、b)個人主義(「和」の欠如)、c)縦の命令系統(縦社会)等の労働観を見い出す。彼等はそうした日中の差を資本主義と社会主義の差と捉え、日本・資本主義側を肯定的に評価する。そこで日本人労働者は「中国から学ぶものは何もない」と考え、中国人研修生は「日本人は見下す態度をとる」「日本文化に同化しなければ仲間にならない」と感じる。他方、中国人研修生は、日本人労働者に、勤勉や愛社精神、会社中心の生活を見い出している。しかし彼等がそう評価する比較基準は研修生自身ではなく、中国で指導・管理してきた中国人労働者である。彼等は、日本の職場は集団主義だが、横社会・「和」の社会ではなく、上意下達の世界だと感じている。
(2)中国人研修生を受け入れた日本人酪農家は、研修生を低賃金労働力として活用している。彼等は、研修生受入企業の日本人労働者と同様、中国人農業研修生の労働観を否定的に評価する。これに対し、中国人農業研修生は、日本人酪農家は確かに勤勉だが、それは集団主義や横の協力の精神ではなく、あくまで私的利益追求という個人的動機に基づくものにすぎないと捉える。そこで、そうした勤勉を自分達にまで期待・強制するのは筋違いだと考える。こうした労働観をめぐる対立は深刻で、農家側には「中国人とは性悪説を信じてつきあっている」、研修生側には「無実の罪で一年間の強制労働を強いられたと考えることにする」といった声もある。
(3)国費・理工学系大学院生と日本人教員・院生の間では、文化習慣、特に人間関係観の違いが大きな問題となる。留学生は、日本人教員・院生の人間関係が希薄・疎遠で、しかも集団主義だと感じる。彼等は、自文化を基準として主に文化的要因からそれを理解する。そこで日本人の集団主義という文化を、一方では個性軽視・排他性、他方では秩序正しさ・公共性として両義的に評価している。
(4)文系大学院・私立大学の私費留学生は、保証人・アルバイト先等、大学外の日本人と密接な関係を有する。彼等の保証人は中国在住時に知り合ったビジネスマン・観光客等で、留学生に様々な援助をしている。また彼等のアルバイトは中国語講師・旅行会社の事務職等が多く、職場の同僚・生徒にも中国や外国に理解・関心をもつホワイトカラー・専業主婦が多い。こうした日本人との親密な関係は、恋愛のもつれ、セクハラ、過干渉等のトラブルと表裏一体である。その多くは、日本人側の善意・好意、とりわけ保護者意識から発することが多く、それだけに留学生側も葛藤を深める。留学生は、アルバイト先のホワイトカラー労働者や保証人を見て、日本人相互の人間関係が希薄・疎遠だと感じている。そしてそれは集団主義等の文化的要因ではなく、長時間労働に基づく精神的・時間的ゆとりの欠如、及び、経済至上主義・利己主義に基づくと否定的に捉えている。
(5)専門学校の私費留学生・日本語学校就学生も、保証人・アルバイト先等、学校外の日本人との関係が中心である。ただし彼等の保証人は、斡旋業者や友人の紹介によるもので実際の援助は希薄である。また彼等のアルバイト先は、パチンコ屋・スナック・中華料理店・弁当工場・零細な製造業等での単純労働(ホール・調理補助・ホステス・掃除夫・洗い場・製造工等)が多く、労働条件も劣悪である。彼等は、そうした職場の日本人の人間関係が希薄・疎遠で個人主義的だと感じている。しかもそれは、労働力支出の個人的節約という本音の自己防衛、及び、経済的貧困・精神的ゆとりの欠如に基づくと感じている。一方、彼等を雇用する零細企業の日本人経営者は、専門学校生・就学生と接する中で、「世界社会の周辺としての第三世界」と「日本社会の周辺としての下請零細企業」の共通性の認識等を深めている。彼等は、日本資本主義や日本人の労働観を必ずしも「目指すべきモデル」とは考えていない。
榎本 環(早稲田大学大学院博士課程)
2209教室にて開かれた第1分科会では、約30名の出席者を得て、湯本誠氏(札幌学院大学)の司会により4名の大学院生の発表が行われた。
桜井氏の報告は、日本的経営システムの下で「働きすぎ」現象が生まれるメカニズムを討究する一環として、企業側からの「強制」要因への注目を踏まえつつ、労働者側による「受容」の側面にさらなる焦点を当て、「自己目的的経験=フロー」モデルを軸にしながら、両要因の結節点としてこれを分析する理論的アプローチを仮説的に提示する試みであった。「過密労働を受け入れる”素地”としての労働者の労働観、仕事意識」に本格的なメスを入れようとする報告者の試みは、先行研究を発展的に継承する位置づけを占めており、学会全体にとっての貴重な萌芽であると云える。
岸本氏の第二報告は、「報告要旨集」によれば、鉄鋼企業調査の結果を分析する上での予備考察として、日本型大衆社会・批判的公共性・”自立”・”身体”等を鍵概念に、報告者自身の問題意識と視座を提示するものであった。自らの問題関心の所在とそれに迫る視座を自覚的に検討する過程は、社会科学の営みとしての研究の質を決する分水嶺であって、実証研究を試みる者にとって、この作業は誰もが通過しなければならない鬼門であろう。その意味で、報告者の学的誠実さが光る報告であった。
第三報告の鈴木氏の発表は、労働組合の政策決定過程に関する従来の説明が、経済的合理性と社会的・文化的要因との間で二極化しがちである傾向を指摘して、第三の要因としての政治過程に注目し、日本の労働組合を事例に据えてこれを欧米での先行理論の枠組みで説明することの可能性を探る内容であった。「組合内政治」の分析領域に焦点を当てつつ、国労と鉄鋼労連における具体的な事例をフォローする報告者の手法は、先駆的且つ緻密である。何よりも、日本の社会事象に関する説明を国外に「発信」しようとする試みは、大いに奨励されるべきである。「『組合内政治理論』に備わる理論前提が、日本の労組には当てはまらない」とする報告者の暫定的結論に遭遇してみると、氏の今後の研究成果が待たれる。
池田氏による第四報告は、トヨタ型生産方式とフォード型生産方式の対比を念頭に置きながら、英国に進出した日本の自動車工場における製造現場の労働実態の把握を通じてトヨタ型生産方式が英国で如何に導入されていったかを探り、それによって、労働編成主体と労働力提供主体の二つの側面から日本型生産方式の下での「労働」を分析するものであった。「トヨタ型」と「フォード型」の二つの生産システムを分析的な理念型として用いた上で、日本社会と英国社会という、与件としての状況の違いから生ずる生産のシステム化の多様性の方向を捕捉しようとする報告者の手法は、理論的にも洗練されており、進出企業の製造現場における生産管理の実態把握は緻密を極めている。非常に質の高い研究であると云えよう。
ともすれば「産業・労働」の研究領域が社会学全体の中で隅に追いやられつつあるかのような印象さえ拭いきれない昨今にあって、筆者の同世代に当たる若い研究者達による斯くも果敢な研究報告、そしてそれを巡る白熱した議論との出会いから得られた刺激と励みは、少なからぬものであった。特に、四氏が、各々の研究対象・視座・研究段階で、現実事象と真正面から対峙している足跡は深く印象に残った。
他面、私見になるが、今回の各報告は、筆者が日頃遭遇する疑問や不満を幾つか浮かび上がらせるものでもあった。第一に、「説明」と「解明」とは異なるものではないか。ある事象に対して、一定の説得力を帯びた仮説的な説明は無数に可能である。閃きや直観の要素を一掃する必要はなかろうが、モデルやアプローチの選択に際し、対象に備わる特性から出発してそれに適合的なものを採用するといった手続きがもっと重視されていいのではないか。これに付随して第二に、著名な、或いは外国の社会学者の手による概念や理論を、安直に普遍性と結び付けがちな傾向はないか。或る概念や理論を適用する際には、それらが立脚している前提条件やその効能、適用条件に対してもっと慎重であっていいのではないか。第三に、(広義の)労働条件や労働環境、および「経営」の研究に比して、「人間の労働行為」に関する本格的な研究は、学会全体で見ても未だ途上段階にあるのではないか。
連続的で分節化されていない現実事象に認識の光を当て、その中から「何を見るか、それを如何に見るか」を決することは、それ自体すぐれて理論的な作業である。調査や分析の「方法」に加えて、それを支える「方法論」こそ、質の高い実証的研究を支える条件ではなかろうかと思う。
江頭 説子(東京女子大学大学院修士課程1年)
第2分科会における合場、小谷両氏の報告は、日本の職場、特に女性労働者が抱える問題の研究を志す私にとって、貴重な指針を示すものであった。
まず合場氏の報告は、理論的枠組みの新しさがあり、切り込むことが難しいとされている職場を、日本を代表する異なる業種の大企業2社(電気機械器具産業に属する、以下ヒバリ社と呼ぶ、電気通信産業に属する、以下サクラ社と呼ぶ)での大量のアンケート調査を実施、分析したという実証研究の新しさがあった。特に理論的枠組みの新しさに関して述べると、合場氏は、アメリカ社会学における性別職域分離研究を綿密に分析した実績の上で(1)仕事区分における性別職域分離の構造と効果を、トマスコビック=ディービーが定義した、内的報酬(金銭的報酬以外に仕事から得られる報酬)に着目したものである。内的報酬を仕事の複雑さ、監督されている程度、研修期間の長さ、研修回数、職能資格の高低、監督責任度合いを変数とする手法で、統計的にジェンダー差の有無を実証した。そのジェンダー差を説明する理論として、人的資本論と社会排除説(社会的地位による排除過程と社会的地位による構成過程の2つの側面をもつ)を用い、各々の職場について、何が有効な理論であるかを分析した。その結果、ヒバリ社における、監督されている程度と職能資格のジェンダー差は、サ
クラ社に比べて、より人的資本により説明され、人的資本以外では社会的地位による排除過程がヒバリ社において認められるものとしている。対照的に、サクラ社の内的報酬におけるジェンダー差は、社会的地位による構成過程によって説明されることを発見した。この合場の分析手法は、今後職場を分析していく上で、非常に有効なものであるといえるだろう。
次に小谷氏の報告は、午後に行われたシンポジウムの一つの柱であった『女性ユニオン東京』という個人加盟により自主運営されている新しい労働組合をフィールドとし、1年半に及ぶ参与観察と小谷自身による組合加入者全員(291名)へのアンケート調査をベースに、独自の視点による分析を試みたものであった。まず、何よりもその調査対象選定の新しさに注目すべきである。増加する女性労働者を分析するに当たり、実態として中小・零細企業に勤務していたり、企業内に組合が存在していなかったり、あるいは経営者寄りの「ご用組合」しか存在しない女性たちに着目した。その問題を解決する一つの鍵として、誰の協力も得ることができない女性労働者の、組織的支援へのニーズに応えるために発足した『女性ユニオン東京』を調査対象とした小谷の視点の新しさが強く感じられた。分析に当たり、本人の主体性をはかる尺度として、活動への参加度別に、(a)団交メイン経験層(b)団交サブ経験層(c)団交参加経験層(d)ボランティア経験層(e)組合費納入層(f)組合費滞納層、という6つのグループに分類し、組合員の属性、労働問題の種類、解決の様態、意識の変化などについて分析を行った。その結果、組合員の主体形成は具体的な活動の参加によって強化されることを見いだした。質問者からは、「この運動体がフラットな組織を持っているのは、初期段階にあるからなのか」「組織原理として、今後はヒエラルキカルになるのか」又、「階層に分化する主体的な理由は何か」「ワーカーズコレクティブとの連帯の可能性はあるのか」といった積極的な質疑がなされ、今後の小谷の研究に対しての期待が寄せられた。
以上2つの報告を受け、私は女性労働者の問題を社会科学的に実証していくことについて、多くの示唆を得ることができた。私が職場における女性労働者が抱える問題の研究を志した理由は、私自身が11年間女性労働者として企業に勤務し、実際に様々な問題にぶつかったからである。いざ研究し始めてみると、私自身の思いがあまりに強すぎ、科学的な実証性に欠けるものとなっていた。社会科学的に実証することの難しさを痛感し、その手法を模索していた私にとって、両氏の報告は非常に有意義であったとともに、職場における女性労働者の問題を、一つ一つ実証し、研究を積み上げていくことの重要性を強く感じた。
注1 「日米女性ジャーナルNO.20,1996」P100−113 合場敬子「アメリカ社会学における性別職域分離研究の理論的枠組みと今後の研究方向」
参加レポート3
第3分科会
高木 俊之(専修大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程)
浅野慎一「労働観・人間関係観をめぐる異文化接触と文化変容―日本で学ぶアジア系研修生・留学生・就学生と受入側日本人に関する事例研究―」
村松加代子「建設業町場の変容と再生―東京の職人集団の社会学的考察―」
樋口博美「伝統的地場産業における共生関係―都市型・農村型地場産業を事例として―」
第三分科会では上記の三報告がなされた。はじめにお断りしなくてはならないことは、筆者は第一報告者の浅野氏の報告は後半のわずかな部分しか聞いておらず、またこの『会報』に執筆を求められたのも第二報告に入ってからなので、「第三分科会における討論と感想」も第二報告からにさせていただきたいことである。
村松氏の報告は、戦前から現在に至る東京の建設業町場の衰退すなわち仕事の発注・受注に関する構造変化を明らかにし、それと並行して起こった道具の機械化による熟練技能の平準化を明らかにした。そして、その再生は技能を基礎にした信頼関係をもとに共同受注をすることであるという。
それに対して、嵯峨一郎氏(熊本学園大学)から、人情をもとにした共同受注というのは、ゼネコンの場合で言い換えれば公共事業の際の談合ということになる。地方ではこれで経営が成り立っているともいえなくもないが、共同という意味について考えてほしいという意見が出た。また、藤井史朗氏(静岡大学)からは、発注・受注の構造が変化したときに、棟梁のリーダーシップにも変化が起こったのではないかという質問が出された。新しいリーダーシップをもたらしたものは何かも調査してほしいという要望が出された。さらに、秋元樹氏(日本女子大)からは、現在壊滅的状態にある町場の再生とは何なのか。それは戦前の状態に帰ることを意味するのかといった根元的な質問が出された。筆者もこの質問を報告者にしたい。村松氏の報告には「人間の共同生活の歴史はゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ推移し、そして次に来るべき社会はゲノッセンシャフト(協同組合)である」という、当然用いるべきであるF・テンニースの論理が欠けている。再生ということの内容が回帰することではないことをアカデミックな論理を補って論じてほしい。本報告のサブタイトルにも社会学的考察とあることを忘れないでほしい。
樋口氏の報告は、京扇子と飯田水引の事例を通して伝統的地場産業内における工と商の関係を共生という視点から捉え直すことであるという。
それに対して、田中夏子氏(長野大学)から、問屋と職人の間の共生といっても、その中には協調だけではなく、共生の葛藤的側面である対立もあるはずであり、その分析も必要であるし、また報告にある都市型・農村型といっても産地の共通点やどのような条件下に晒されると変容するかは明らかになっていないと指摘された。筆者もこの田中氏の前者の質問にあるように共生という概念に関して報告者はもっと吟味してほしかったと思う。共生という概念は形式社会学から考えて、社会学の核心に触れるような問題だと思う。
また、中田重厚氏(明星大学)からも、共生ということについて質問が出された。伝統産業・地場産業における生産者と消費者の関係は市場関係ではなく、使う側の視点で成り立つものである。つまり、良いものは使う側が支えていくから存続するわけである。その意味で共生するわけである。その視点からすると、この報告にあるような扇子や水引は使う側が限られた特殊な事例である。もっと一般的に使われるものが生活に密着したものであり、そういったものの中にこそ伝統産業・地場産業における共生があるのではと指摘された。
さらに、北島滋氏(宇都宮大学)からは、伝統的地場産業の共生関係、言い換えると中小企業の共生関係とは、従来の中小企業研究の課題(たとえば商家同族団、経営の前近代性、内発的発展の主体など)と関わらせていかに位置づけるのかを示してほしいと要望が出された。これを扱うことで将来の現実的意味が分かるような研究をしてほしいともいわれた。この北島氏の発言はこの分科会にとどまらずかみしめられるべき言葉だと思う。
鈴木 玲(ウィスコンシン大学)
労働組合は、経営者による終身雇用の見直しやリストラなどの労働市場の変化にどのように対応すべきなのか。労働組合は、企業別組合中心の組織形態をどのように変えていくべきなのか。労働組合は衰退するのか。それとも新たなユニオニズムにより再生されるのか。すなわち、労働組合に未来はあるのか。第9回日本労働社会学会シンポジウムのパネリストはこのような問題意識を共有していたと思われる。各パネリストは、それぞれの立場から上記の問題点を検討し、労働組合の未来像を描いた。以下においては、各パネリストの発表と主なコメントを簡単にまとめる。
専修大学の高橋祐吉氏は、労働市場の自由化、賃金の個別化、フレキシビリティの増幅を「新日本的経営の論理」としてとりあげ、それに対する労働組合の対応を検討した。高橋氏は、新たな経営戦略に対して、労働組合が取り組むべき課題は、企業別組合主義を克服して「自由化」や「個別化」に対抗することであると指摘した。たとえば、企業横断的に労働条件を規制すること、ジェンダーの視点から差別の関心を強めること、労働協約の法的規制を強めることなどを課題として提起した。高橋氏は、労働組合は経営に対して無力=同質化して危機意識を持たないまま組織率が低下していると、組合の未来に悲観的見解を示したが、一方で労働運動の中で企業の枠を越えた新しいタイプの組合が育ち始めていることも指摘した。
連合の桝本純氏は、年功制賃金の近年(特に90年以降)における変容と、労働組合の対応を分析した。今までの年功制賃金は労働対価原則(能力主義的な面)と生計費原則により成り立っていたが、経営者は近年において前者の原則を前面に押し出してきた。それにともない、従業員の能力評価の基準が潜在能力も考慮に入れたものから、成果主義的なものに変化してきた。桝本氏によると、このような賃金思想の変化は、必ずしも経営者から労働組合への一方的押しつけではなく、労働者の価値の多様化を反映している。例えば、一部の組合が裁量労働制を受け入れたのは、少なくとも組合員の一部はこのような賃金制度を公正なものとして見ていることによる。また、桝本氏は、労働組合の将来の課題として、このような労働者の価値の多様化に対応し、個別処理と労働協約の複数化に重点をおくこと、既存の組合とクラフト・ユニオンなどの新しいタイプの組合との連携を強めることをあげた。
管理職ユニオンの設楽清嗣氏は、管理職ユニオンの活動を通じて労働組合の未来について見えてきたことを語った。設楽氏は、管理職ユニオンの主な活動は個別紛争処理であるが、これは裁判所や労働委員会などの紛争処理システムが整備されていないためであると指摘した。また同氏は、労働組合の未来について、集団的労使関係の限界を補う形でカウンセリング・ユニオンなどの個別処理型ユニオンをひとつの可能性としてあげている。また、個別処理型ユニオンと企業別組合は「緊張ある相互協力」をする必要があると論じた。
女性ユニオンの伊藤みどり氏は、女性ユニオンの結成の背景として、企業別組合の性差別をあげた。今までの労働組合は男性中心で女性の要求は附帯要求としてしか扱われず、組合内での婦人部や女性委員会の影響力が弱かった。伊藤氏は、女性ユニオンの特徴として主に二つの点をあげた。一つは、目的が一致すれば、メンバーは二重、三重加盟でも構わず、宗教、思想、信条を問わないこと。二つには、メンバーの自主参加を重視していること。すなわち、組合加盟通知や団体交渉などをメンバー自ら行い、問題が解決して「元気」になったメンバーは、今度は他のメンバーの相談にあたるなどしている。伊藤氏は、労働組合の未来は、労働の視点と、女性の視点の接点がどのように広がっていくかによると主張した。
これらのパネリストの発表に対して、コメンテーターの嵯峨一郎氏(熊本学園大学)は、労働組合の可能性というのは、新しい問題ではなく60年代末以降提起され続けている問題であり、労働組合をめぐる状況はいわれるほど変化していないのではないかと述べた。嵯峨氏によると、年俸制の導入は全労働者を対象とするものでなく、一部の管理職だけに適用されている。また、実績主義は、実際には年功制との妥協を通じて導入される。すなわち、変化は「リストラ」などの言葉が示唆するほど急激なものではなく、日経連の『新時代の日本的経営』が実際に実現する可能性は少ないと指摘した。
聴衆からパネリストに対して、活発にコメントが出された。主なものとして、労働組合は労働者の多様化する価値に個別に対応するだけでは不充分で、個人化に対抗する共通のニーズを見いだす必要があるのではないかとする意見、個別化する賃金体系がどのように男女賃金格差に影響するかという問題、日本の労働組合が直面する問題はグローバルな視点から見る必要があるという指摘などがあった。
筆者がシンポジウムの聴衆の一人として受けた印象は、労働組合の未来像はまだ不透明であるということである。その根本的理由として、労働組合が個別紛争処理的機能と社会的連帯的機能のバランスをどのようにとるのか模索している段階であることが考えられる。企業別組合に関しては、企業社会を超えて社会連帯的機能を拡大させる必要性をパネリストや参加者が感じているようだった。しかし、具体的にどのように組合を変革させていくのかについてはあまり議論されなかった。既存の組合に比べると、管理職ユニオンや女性ユニオンなどの新型ユニオンは「元気」であるという印象を受けた。その主な理由として、これらの組合の規模が比較的小さいこと、個人加盟であるためにメンバーが組合活動に積極的に参加していることがあげられる。しかし、今後これらの組合が成長して、組織が官僚化した場合、組合員のコミットメントと活発な組合活動をどのように持続できるのかが課題となろう。
服部 功(女子聖学院短期大学)
10月27日好天の中、工和会の案内で3工場を見学した。工和会とは、大田区に11ある経営者団体のひとつで、機械加工業をはじめ商社をも含む同業・異業種交流団体という性格をもつ。
バブル不況以降、日本の中小企業は周知のとおり受注量の激減や度重なる工賃切り下げにあえいでいるが、大田区も例外ではない。大田区の中小企業は、最盛期には8500社ほどあったが、現在では6000社ほどに減少しており、従業員の数も半分ほどに減っている。受注量も少し持ちなおしてはいるが、それでも全体としては最盛期の80パーセントにとどまっており、企業の設備や技術力によるばらつきがみられる。こうした状況にもかかわらず、高度な技術力をもった企業は、他社の苦境にもかかわらず多くの受注を抱え、多額の利益を上げている。今回案内していただいた3工場はそうしたエリート企業で、工和会のリーダーは、マスコミによって流布された日本の中小企業に対する悲観論を、今回の工場見学を機会に払拭してもらいたいと願っていた。
最初に見学した工場は(株)宮城精工で、金属の高度に細密な切削・研磨の技術力を誇っており、18人の従業員で年商6〜7億円、現在でも工場能力の150パーセントの受注を抱え、不況とは無縁の小工場である。従業員も高給の人は年収1千万ぐらいになり、定着率もよいという。
工場は住宅地に立地した一見マンション風の2階建。1階でコンピューター制御のフライス盤等を用いて粗加工し、2階で手動機械による研磨で仕上げという工程になる。1階のフロアには新旧様々な金属切削機械が設置されているが、操作性の相違や製品の要求する精度等により使い分けられている。最新機械は7千万円という価格もさることながら、自動車の車庫ぐらいのスペースがこの機械一台でうまってしまうほど場所をとる。東京の高地価は設備の設置場所や作業スペースの確保にも大いに影響しており、今回訪問した工場のなかでもこの工場は人とすれ違うのがやっとというくらい機械と機械の間隔が狭かった。
1階での作業は、コンピューターのプログラムが中心で、あとは機械任せになる。プログラムができるのは従業員中2〜3人で、機械の使いこなしには5年ほどかかるということである。ここで熟練が発揮できるのは、加工の速度、精度、工程の変更等にかんして標準的なマニュアルをカスタマイズする場面であるが、社長自身はプログラム能力の要件として、個人の経験よりも機械に対する個人の態度を強調していた。2階では、1階の準備段階を経て、砥石を使った研磨加工が行われている。訪問時は、半導体ウェハー製造装置のエアー軸受けを加工していた。軸部分は、毎分10万回転という高速回転のため、髪の毛20分の1の誤差というレベルで細密な研磨が行われている。この高い精度がこの工場の成功の秘訣である。
最初の工場の見学後2グループに分かれ、私が参加したグループは次に(有)及森熔接を訪問した。先ほどの工場からはわずかしか離れていないが、道の両側は小工場が建ち並んでいる。ここは正社員4人、アルバイト1人のさらに小規模な工場だが、独自技術の成功事例としてマスコミで多く紹介されているとのこと。
この工場では、金型や鋳物の修理を行っており、「鉄のお医者さん」と呼ばれている。訪問時には、直径60センチほどの金属盤の切削ミスの修繕を行っていた。「料金が高くてつぶれた工場はない」ので、「高い、へた、おそい」をモットーとし、顧客の様々な要求に応えている。マスコミの紹介後は、鍋、釜の修理まで持ち込まれるようになり、こうした方針を貫けず「ボランティア」に励む羽目にもなったそうではあるが...。この工場の強みは、熟練・経験を生かした診断、修理の能力の高さである。鋳物については、鋳物を見れば焼きの温度や時間、タイミング等がわかるという。鋳物個々に性質に応じた最適な修繕方法が採用されるわけだ。そのために、現在普及している鋳物の設備だけでなく、もう他の工場では見られなくなったコークスと鞴を使った伝統的な設備も活用されている。
最新鋭の設備や最高水準の加工精度を武器に業績を伸ばしている企業がある一方、熟練を背景として伝統技術を生かしつつ業績を上げている企業があったことは、新鮮な驚きであった。
最後に訪問したのは、板金用金型の設計、製作、プレス加工、組立の(株)渡辺工業である。はじめは金型の製作だけであったが、顧客の要望や金型受注の変動に対処するため、後工程を統合し、業務を拡大していったという。現在では東南アジア諸国での生産に押され、組立のウェイトは小さくなっており、金型の設計、製造が中心である。現在は従業員20人(うち10人の女性パート)で年商5億円を生み出している。
ここではまず最初に、ワイヤーカット機械での金型の切削工程を見せていただいた。ここでも20ミクロンという高精度での加工が可能だが、ワイヤーカット機械の運転コストの面から、製品の要求する精度により従来のフライス盤やホール盤等の機械と使い分けがなされていた。こうした機械の運転ができるようになるまでには5年ほどの訓練が必要とのことである。5〜6年前なら10年ほどの訓練期間が必要だったが、技術の進歩によって熟練が生かせなくなったという。それでも、得意先を定年退職した50代の熟練職人が1人おり、トラブルの処理や若手ではできない仕事をこなしている。
この後、板金プレス金型を見せていただいたが、これについては皆目を見張り、盛んに写真を撮っていた。その金型はビデオカメラとOA機器の部品であったが、特にビデオカメラの金型では、一つの金型で板金の型抜き、曲折、板金の別のパーツの作成とその接合を全部こなしてしまう、という複雑なものであった。この金型では、板金の曲折が鋭角でできるという点に独自技術を用いており、これにより特許をとっていた。中国でも同じものが生産できるが、複数の工程にまたがるのをこの金型一個でできるため、メーカーから受注の獲得に成功していた。こうした高度な金型の8割は社長自ら、製品の設計図から製造工程を分析し、金型をデザイン、設計したものである。
以上みてきたとおり、これら3つの工場は、日本および大田区の中小企業全体のなかでむしろ例外的に成功している事例なのかもしれない。しかし、製造業の海外移転がますます進展するなかで、今後中小企業がとるべき戦力の方向性を示唆しているといえるであろう。そうした方向性について現場で具体的な形で観察できたことは大変有意義であったと思う。
小谷 幸(東京女子大学大学院)
1)工場見学の概要
当日は午前中に下丸子駅に集合し、まず始めに全員で宮城精工株式会社の見学をした。宮城精工の特色は、髪の毛を縦に3本に切れるほどの精度の高い技術力を生かした、半導体のウェハー基板を切削する部品作りである。丸棒(例えば超高精度のネジなど)の研磨・研削を主力としており、受注先は工作機械メーカーが多い。創業以来14年が経っており、従業員は創業当時の4人から現在は18人になった。工場は二階建ての真新しいマンションのような外観をしていた。2階が、この工場の特色である、高い技術力を要求される工程をおこなう場所であり、1階がその前工程にあたる作業に従事する配置になっている。
参加者多数のため二班に分かれ、私は金型工場をまわる班に入り、その後2つの工場を見学した。
まず、特殊溶接、組み立てと金型の修理をおこなう有限会社及森溶接を見学した。工場の間口は道に面して大きく開かれており、外からも作業の様子がよく見える作りになっていた。及森溶接の特色は、他社の金型の修理を請け負うことにある。工和会の方の話によれば、金型の修理ができるのはこの会社だけらしい。鋳物ごとに温度や余熱を熟知し、鋳物が割れないように直すことができる技術を持っているとのことだ。修理を依頼する企業の側から見れば、精度の高い金型は何十万もするので、簡単に廃棄するわけにはいかないのである。社長の「仕事が高くてつぶれた会社はない」という話が印象的であった。自分の技術に誇りを持っている様子がうかがえた。
次の工場に向かう途中で、外側からのみであるが1つの工場の説明を受けた。その会社は株式会社文化精工といい、主に自衛隊などで使用されている20分で100人分の食事をつくることのできる文化バーナーのような食品関係の機械を製造している。阪神大震災時にはこのバーナーを持ってボランティアに参加したらしい。
最後に5分ほど歩いて2つめの見学先である渡辺工業株式会社に行った。この会社は金型・プレス・一般加工・組立をおこなっている。特色は金型の設計、作成時の技術力であり、金型のまげに関する特許(まげを一工程で二ヶ所鋭角に曲げられる。普通は一工程では直角までしか曲がらないそうだ)をとっている。実際に金型を見せてもらい、熟練工でもある社長の説明を受けた。この会社は創業から24年が経ち、現在の従業員は20人だそうだ。
工和会館に戻り昼食をとりながら、工和会の方々との交流会をもった。工場団体として団結する事の意義や活動、そして成果について、ひとしきり工和会の方が話した後に質疑応答がおこなわれ、見学が終了した。
2)見学を終えた感想
経済のグローバル化が進み、国内の工場は徐々に海外移転されている。こうした空洞化の動きに加え、円安、人件費の安いマレーシアの追い上げなど中小企業を取り巻く環境は厳しさを増している。こうした中でいかに生き残る道を模索するか、見学・交流を通してその一端がみえてきた。以下その4点とそれぞれの点に付随する問題点を挙げてみよう。
(1)工場密集地域である大田区に工場があること。場所の利を生かし、急ぎの発注をこなすことができる。また、発注先が近いので、連絡を密にできる。しかし工場の発展による地域の活性化を目指し、住民とも共存を目指したいが、騒音等の環境問題とはいつも隣り合わせである。
(2)ノウハウの蓄積・技術開発によって生み出される、高い技術力に基づく独自性・専門性。より低い技術はマレーシアにとって代わられる恐れがあるが、高い技術力を保持していれば活路を見いだせる。ちなみに彼らはマレーシアに技術協力のボランティアに行っているそうだ。また、昔は、一部品一工場というはっきりした分業形態がとられていたが、現在では企業のリストラ策の一環である外注化が進んでいるため、宮城精工、渡辺工業のような工場は、自分たちで部品集めから検査、出荷までをおこなっている。ここでの問題点は労働の強度が上がり、高密度の労働を強いられるようになってきていることである。
(3)機械導入による省力化。例えば宮城精工での最も重要な工程は、いうまでもなくドリルで穴をあけるところにあるが、ME化の影響で、その工程に要する熟練には変化が見られるようになってきた。昔の職人は、1.音の聞き分けと2.数種のドリル使用による熟練によって穴をあけており、十何年も経験を積み重ねて一人前と見なされていたが、現在は機械のプログラム調節に熟練が多少必要な程度で、三年位で習得できる技術らしい。しかしその一方で、高額な機械の購入が負担になってきているという。
(4)工和会。大田区の工場団体は仕事を仲間で回し、異業・同業交流をおこない、圧力団体としての活動実績がある。またその中でも工和会独自の特色として、世代間交流(次世代育成)が図られていること、意見交換が積極的におこなわれていることが挙げられる。
最後に交流時に印象に残った発言を二点挙げておこう。まず、国から制度的に守られていないことこそが重要であり、国から保護されていたら伸びないという発言。だからこそ自立的に生き残っていくことができるのかもしれない。二点目はマスコミの取材の際に、「不景気のため倒産しそうだ」というステレオタイプで報道されることは迷惑で、誰とでも「裸の情報交換がしたい」と発言していた。住民とも直接にコミュニケーションをする事が大切だという発言が印象的だった。
|
編集後記 |